大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪地方裁判所 昭和62年(行ク)9号 決定

申立人(原告) 小谷晴彦

相手方(被告) 天王寺税務署長

代理人 梶山雅信 足立孝和 ほか三名

主文

一  申立人の申立をいずれも却下する。

二  申立費用は申立人の負担とする。

理由

第一申立人(原告、以下、単に原告という。)の文書提出の申立及び意見

別紙(一)のとおり。

第二相手方(被告、以下、単に被告という。)の意見

別紙(二)のとおり。

第三当裁判所の判断

一  一件記録によれば、本件訴訟は、被告が、原告の昭和五六年分ないし昭和五八年分の所得税について更正処分をするに際し、原告の営む内装工事業の所得金額を実額で把握しえないとして、原告が事業所を有する天王寺税務署管内及び大阪府下の各税務署管内において青色申告をしている同業者一〇名を抽出し、右同業者の当該年分の売上金額と経費の金額から経費率を計算し(被告第二準備書面別表三)、その平均経費率に基づいて原告の所得金額を算出したという事案であり、被告は、右主張に対応する証拠として、「『同業者調査表』の提出について」と題する大阪国税局長作成の一般通達書(<証拠略>)及びそれに対する同じ表題の右各税務署長作成の大阪国税局長宛の報告書(<証拠略>)を提出していることが認められるところ、原告は、前記各報告書中、該当同業者の昭和五六年分ないし昭和五八年分の売上金額、経費額及び算出所得金額が記載され、各同業者の事業所所在地及び氏名の記載がその上に紙を貼つて隠蔽されている書面(<証拠略>)の、各同業者の事業所所在地及び氏名の記載が隠蔽されていない原本(以下「本件同業者調査表」という。)の提出を求めるので、その適否につき判断する。

二  文書提出義務の原因について

ところで、被告が、本件訴訟で証拠として提出している文書(<証拠略>)は、各税務署長作成にかかる本件同業者調査表のうち各同業者の事業所所在地及び氏名の記載部分を除く部分の書面であるところ、右書面は、本件同業者調査表の重要な一部であることは明らかであるから、被告は、本件訴訟において、右の<証拠略>を提出することにより、本件同業者調査表の存在に言及し、かつ、その記載内容中の重要部分を明らかにしてその主張を構成し、立証の手段を講じているものといわざるを得ず、本件同業者調査表は、民事訴訟法三一二条一号にいう「訴訟ニ於テ引用シタル文書」にあたるというべきである。

三  守秘義務について

民事訴訟法三一二条に定める文書提出義務は、裁判所の審理に協力すべき公法上の義務であり、基本的には証人義務、証言義務と同一の性格のものと解されるから、文書所持者にも同法二七二条、二八一条一項一号等の規定が類推適用され、文書所持者に守秘義務のあるときは、右文書の提出義務を免れるというべきである。

本件同業者調査表は、個人の秘密に属する売上金額、経費額、算出所得金額が、その個人の氏名、事業所所在地等とともに記載された文書であつて、税務署長は、所得税の調査に関し職務上知り得た右のような事項につき、国家公務員法一〇〇条一項、所得税法二四三条によつて、守秘義務を負うものというべきであり、税務署長が訴訟当事者として、このような文書を訴訟において引用したからといつて各納税者の秘密保持の利益が無視されてよいことになるいわれはなく、前記隠蔽された各同業者の氏名、事業所所在地が開示されると税務署長の守秘義務に反する結果となることが明らかであるから、被告は、右秘匿部分について依然守秘義務を負つているものというべく、したがつて、被告は、本件同業者調査表の提出義務を負うものではないというべきである。

四  よつて、本件文書提出命令の申立はいずれも理由がないからこれを却下し、申立費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり決定する。

(裁判官 山本矩夫 及川憲夫 徳岡由美子)

別紙(一)

申立の内容

一 証すべき事実

本件推計課税の違法性

二 文表の表示及び文書の趣旨 <略>

三 文書の所持者

被告

四 文書提出義務の原因

民事訴訟法第三一二条一号

別紙(二)

原告の昭和六二年四月二八日付け文書提出命令申立て(以下「本件申立て」という。)は、以下に述べるとおり理由がないから速やかに却下されるべきである。

一 提出義務の不存在(提出済み文書)

本件申立てに係る文書は、既に乙第七ないし第一五号証として提出済みである。

右各証は、各税務署の調査担当者が、同業者調査表として作成したもの(以下「元の文書」という)に、守秘義務を全うするため、大阪国税局直税部訟務官室の担当官において、同業者の住所、氏名欄に紙を貼りつけたものであり、本件において書証として提出したものは、あくまで元の文書(ただし紙の貼られたもの)である。

したがつて、本件申立ては、すでに提出済みの文書の提出を求めるものであり、すでに、この点で理由がないことが明らかである。

二 守秘義務による本件同業者調査表の住所氏名の開示義務の免除

なお、本件申立てが、提出済みの本件同業者調査表のうち同業者住所氏名欄の開示を求めるものであるとしても、被告には、その開示義務はない。

すなわち、民訴法が公務員をその職務上の秘密につき尋問するに際しては行政庁の承認を要する(同法二七二条)とし、公務員の職務上の秘密であることを理由とした証言拒絶(同法二八一条一項一号)の場合にはその当否を裁判所が判断し得ない(同法二八三条一項)としたのは、何が職務上の秘密に該当するか否かの実質的な判断権が裁判所にはなく、その点の判断は行政庁に委ねられるとの趣旨であると解するべきであるところ(斎藤秀夫・「注解民事訴訟法」五巻四一ページ、五一ページ、井口牧郎「実務民事訴訟講座1・判決手続通論1」三〇六ページほか。なお、東京高等裁判所昭和六〇年二月二一日決定(判例時報一一四九号一一九ページ)参照)、右の理は守秘義務による文書の一部の開示義務の免除の場合についても同様に解すべきであり、このように解さなければ、人証か物証かの証拠方法の差異という一事をもつて公務員の職務上の秘密の保護に違いをもたらすという不合理な結果を招来するからである。したがつて、何が守秘義務に当たり、守秘義務違反を避けるべき方法としていかなる方策を採るべきかの判断もすべて行政庁に委ねられていると解さなければならない。

ところで、本件同業者調査表に記載されているそれぞれの金額は、当該同業者の所得申告の一部であり、その内容は、個人の秘密として他人に知られることを欲しないものと解されるので、それは国家公務員法一〇〇条一項所定の「職務上知ることのできた秘密」及び所得税法二四三条所定の「その事務に関して知ることのできた秘密」に当たる。また、被告が、本件同業者調査表を訴訟において引用したからといつて、各同業者が秘密保持の利益を放棄したものとみなされる特別の事情のない限り、被告の守秘義務が免除されるいわれはない。

けだし、訴訟当事者の立証上の便益のため、公務員に守秘義務を課すことによつて保護されている各同業者の利益が犠牲にされなければならないいわれはないからである(浦和地方裁判所昭和五四年一一月六日決定・訟務月報二六巻二号三二五ページ参照)。

それゆえ、本件同業者調査表の同業者の住所氏名を開示することは、当該同業者の申告内容が明らかになつて、公務員(税務職員)の守秘義務に違反することとなるのであるから、民訴法二七二条、二八一条一項一号の趣旨を類推して(東京高等裁判所昭和四四年一〇月一五日決定・判例時報五七三号二〇ページ、名古屋地方裁判所同五一年一月三〇日決定・同八二二号四四ページ、前記浦和地方裁判所決定参照。)、被告は、本件同業者調査表の同業者の住所氏名の開示義務を免れるというべきである。

三 本件同業者調査表の同業者住所氏名開示の立証上の必要性

すでにみたように、原告の本件申立ては、未提出の文書部分がありうるとすれば、それは、秘匿された同業者の住所氏名部分であり、結局その申立ての実質は、その部分の開示を求めるものに他ならないのであるが、その意図は、秘匿部分の開示により同業者を特定し、その同業者に対する調査によつて、業態の些細な相異を指摘するなどして推計の合理性を争うことにあると思料される。

被告は、守秘義務との関係から秘匿部分のある本件同業者調査表を経費率算出のための資料として提出しているのであるが、これによつて当該同業者の業種・業態・事業規模等が原告と類似していることが証明されれば推計の合理性が一応肯認され、もしその証明が足りないのであれば被告はその立証責任に属する課税の正当性を証明できない筋合いになるのであつて、いずれにしても、前記秘匿部分が開示されなければ、推計の合理性に関する原告の反証ができないという性質のものではなく、また、推計課税訴訟の審理のあり方からしても、被告が主張する業態の類似要件で推計が合理的であるか否かがまず判断されるべきなのであり、それが肯定される以上、主張する業態の些細な相異については判断の必要がないというべきであるから、同業者の特定は提出命令の要件たる証拠としての必要性に該当しないというべきであり、この意味でも、同業者住所氏名開示の立証上の必要性は否定されるべきである。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例